あらためて

家から電車で2、3駅のところにある、十三(じゅうそう、と読む)という街に行った。

電車に乗りたい気分だったのと、行きたい喫茶店を見つけたので。

 

だけど着いてみれば喫茶店は閉まっていて、

しょうがないのであてもなく、

別の喫茶店を求め散歩していたらゲリラ豪雨

 

十三、たまに行くといっつも雨が降ってる気がする。

おかげで十三は雨の街、というイメージ。

 

ただ、十三ってそんな広い街じゃなく、

十三に雨が降っているということは、

大阪市に雨が降っているということで、

そう離れていない僕の住む街にも雨が降っているということで、

つまり、たまたまなんだろう。

 

それなのに十三は雨の街、なんて、少し申し訳ない。

 

ただ、誠に勝手ながら、

雨、似合うよなあと思う。

 

晴れの日の十三も知ってるはずなんだけどな。

というか、なんなら住んでたこともあるし。

 

だけど記憶の中の十三はやっぱり雨が降っていて、

飲み屋が雑多にひしめく細い裏路地の、

コンクリートで固められた地面は所々窪んでいて、

そこにできた水溜りを打ちつける無数の雨粒と、

それを避けるように行き交うまだらな人。

 

裏路地を抜けた先には開かずの踏切があって、

せきとめられた人、自転車、車の波。

交通ルールなんて存在しないかのように入り乱れて

窮屈そうに開かれたビニール傘たち。

 

それが雨の街、十三のイメージで、

そんな光景を思い出しては、

結構好きだなあと思う。

 

ただ、十三は別に雨の街でもなんでもなくて、

それは、好きでいる態度として、どうなのかなあ、とも思うのだ。

 

結局マックに入りました。