眠れない

のはまあ、いつものことだからいいんだけど、4日前くらいから本格的に無理になってきたので、そういえば、と思い抗うつ剤を飲んでいる。コロナが本格的になる直前に病院でもらってたやつ。いつも睡眠導入剤とセットで貰うんだけど、抗うつ剤は飲むのをサボってたから余ってたのを思い出して。

 

だってなんか、怖いから。

 

身体の不調、どこが痛いとか、咳が出るとか、そういうのが薬で治るのはわかる。でも心の不調が薬で治るのは、ちょっと怖い。僕の感覚だと身体と心って別々で、「身体」という機械的で人工物的な容れ物に、「心」が収められているイメージ。そして「自分」の本体は、「心」の方。

 

「身体」は物質として存在しているので、物理法則やら化学法則やらに従って、どこかの細胞が悪さをしたり、なんらかの成分が欠乏したり、または過剰になったりして不調が現れる、とうのもわかるし、それを人工物である薬で抑制したりメンテナンスしたり、とういうのも納得。「心」、つまり自分本体の容れ物である以上、「身体」は正常に保っておく必要があるから、不調が現れればちゃんと薬を飲んで治す。

 

だけど「心」って、物質として存在していなくって、その不調が薬で治るって、なんかしっくりこない。いや、寂しさとか辛さだって、もっと言えば嬉しさや幸福感だって、脳からナントカって成分が分泌されて、それをそうと感じるようにできてるんだってことくらい、知識としては知ってる。知識としては。だけど実際に薬を飲んで、そのナントカの分泌を手動でコントロールして、不安感や焦燥感が本当に和らいだりすると、「心」も結局は機械的で、そういう意味では「身体」の一部なんだってことを思い知らされるというか、身を以て知ってしまう。

 

それが怖いです。「心」も「身体」の一部だとしたら、「自分」の本体はどこにいるんだろうって。「身体」は「心」の容れ物だからちゃんと不調は治さなきゃって思ってたけど、その「心」さえも容れ物の方なのだとしたら、この容れ物、空っぽじゃん。それなら別に治す必要なくないか??とか思って、抗うつ剤はサボってた。

 

最近はちょっと飲まないとやってられなかったので飲んでますが。

 

いちいちこういうこと考えるから病むんだろうな。

 

島のペンギンが152匹になりました。

ナンプレ

月曜日から在宅勤務と言えど仕事たったので、日曜日は早く寝ようと思い睡眠導入剤を飲んだんだけど、結局朝の7時くらいまで眠れなかった。「起きてる限りはずっと夜」という信条のもと今まで夜更かししてたんだけど、気付いたら外が明るくなっていてびっくりする。どうやらずっと起きてたら朝になるらしい。

 

朝になって眠剤が急激に効いてきて、泥のように眠る。次に起きたら夜の9時で、まるまる月曜日をスキップしたような気分になる。本当に何も書くことがなかったのもあるんだけど、精神的にもいろいろ無理になってしまい、日記をさぼった。iPhoneのアプリでナンプレをやりながら、この日も夜通し起きてた。

 

最近、ナンプレをよくやっている。9×9のマス目に1から9の数字を埋めていくやつ。インスタの広告にでてきたのをなんとなくインストールしてみたのをきっかけに、暇さえあればナンプレをやっている。

 

このアプリでは、詰まった時にヒントボタンを押せば、「こうこうこういう考え方でこのマスには3しか入れられません。」みたいなヒントが貰える。この「こうこうこういう考え方」に、いちいちかっこいい技名みたいなのがついてて、ナンプレも真面目に研究すれば系統立てられたいろんな解法があって面白いんだろうな、と思う。

 

ただ僕はナンプレに関して向上心が全くないので、いつも同じ解法でしか解いておらず、基本的に面白くない。いつも同じ解法で、同じようなタイムで、同じような問題を繰り返し解いている。

 

言ってしまえば何もしてないのと同じなんだけど、本当に何もしなかったらあれこれ考えてしまって気が滅入ってしまうので、こういうのは意外とありがたかったりする。

 

ナンプレ、結構おすすめです。面白くはないけど。

 

話は戻って、結局また一睡もせずに今日の朝。例によって寝てないのに外が明るくなっててびっくりする。慣れない。なんとなく外に出たくなったので近くのセブンまで買い物に行ったら、ガルボを3つ買うとセクゾのクリアファイルが貰えるキャンペーンをやっていて、思わず買ってしまう(セクゾ好きなんです)。最近無理になってきたことと、クリアファイルを貰ったことを友達にLINEしたら「それ枕元において寝たらよく眠れるんやない!」というナイスアイデアをいただいたので、実践してみるかもしれない(しないかもしれない)。

 

いい加減に昼夜逆転を治したかったので、今日はそのままずっと起きてた。仕事があるのもそうなんだけど、明るくなるまで起きていたここ2日で、僕の夜更かしに対する絶対的な信頼感みたいなものが崩れかけているので、これを早急に修復する必要がある。夜はいずれ朝になるという事実に、実感まで伴ってしまったら、いよいよ夜の訪れさえ怖くなってしまいそうな気がする。

 

今は目が冴えてるけど、眠剤を飲めば眠れるだろうか。うっすらとだけど眠れる気もしている。起きたら外が明るいんだろうね。

 

 

肉が食いたい

今日も本当であればイエローモンキーのライブだったはずの日。19時ごろになって、そういえば今日の分のチケットをまだ発券してなかったことに気付く。メールボックスを探してみたら、「開催されるかされないかに関わらず発券しておいてください」というローチケからのメールを見つけて、ローソンに向かう。

 

いつも出かけるときは音楽を聴きながら歩くんだけど、今日はなんとなくやめておいた。久しく街の音を聞いていない。どこからか聞こえてくる喋り声とか、すれ違う人の足音とか、そういうどうでもいい音が妙に安心する。さみしいんだと思う。

 

ローソンへの道中、商店街を通るんだけど、半分くらいのお店は休業していて活気がない。人もまばらで、アーケードの照明もいつもより暗く、別世界に来たみたいだった。それでもいくつかの飲み屋は変わらず開いていて、ちらほらとお客さんもいた。

 

いうところの「不要不急の外出」ってやつだろう。だけどそれに対して僕は何を思えばいいのか、よくわからなかった。あのお客さんたちに怒りを覚える人がいることも、とてもよくわかる。経済的にも精神的にも追い詰められている人がいる。大事な人の中に感染リスクの高い人がいる、という人だっているんだろう。だけど僕だって、何かが違えばあのお店にいたかもしれない。皮肉でもなんでもなく、生きるのにそれが必要なのであれば、止めることなんてできない。お店だって、どうしても休業するわけにはいかない、経済的な理由があるのかもしれないし、そうであればあのお客さんたちは命綱だ。なによりお客さん達はとても楽しそうで、あの人たちの人生におけるそれを、不要不急だと決めることが僕にはできなかった。これは僕の正義でも優しさでもなんでもなく、決められなかったから、決めなかっただけだ。

 

わからないことだらけだ。こんな騒ぎがなくっても、もともとわからないことだらけだったんだろうけど、そのことがよりクリアにわかってしまうというか、思い知らされてしまう。何より、わからないことをわからないままにしておけないような事が次々に起こる。僕は、何かを守るため覚悟を決めて怒りを表明しなければいけない時が来たら、それができるだろうか。もしくはどうしても追い詰められた時、自分を守るために外出できるだろうか。

 

論理的に何が正しくて何が正しくないのか、ではなくて、主語に自分を置いて、何を守って何を守らないのか、そのために何を選び、何を捨てるのか。いざという時、主語に自分を置く覚悟を、僕は持てるだろうか。

 

ローソンに着いてチケットを発券する。どこにも行けなくなってしまったチケットを手に、帰り道は音楽を聴きながら帰った。このチケットで、いつかどこかへ行けたらいいなと思う。

 

全てが収束したら焼肉に行きたい。

わからないことはわからないままにして、肉が食いたい。

イエローモンキー

本当だったら今日はTHE YELLOW MONKEYのライブに参加しているはずたった。昨年12月のナゴヤドーム、2月の京セラドームと続いた30周年ドームツアーの千秋楽、今日明日の東京ドーム2デイズだ。コロナの影響で延期となった。現在は日程を調整中で、場合によっては中止もあり得るとのこと。ドームでライブをしようと思ったら2年くらい前には会場をおさえないといけないといった話もよく聞くので、心配。参加したナゴヤドーム、京セラドーム公演で、このバンドでドームツアーを回れる喜びについて吉井さんがMCで語っていたのを思い出す。僕が行けなくてもいいので、ライブできてほしいなと思う。

 

なんて思って吉井さんのピンク文字(吉井和哉会員限定サイトで読める吉井さんの日記みたいなもの)を覗いたら今日の分が更新されていて、読んでみたら「丸亀製麺の親子丼はクオリティ高いですよね。」という話をされててウケてしまう。なにはともあれ、吉井さんがお元気ならそれでいいです。

 

せっかくなので2017年の東京ドーム公演のDVDを見て過ごした。「ロザーナ」という曲で吉井さんがタンバリンを叩くんだけど、タンバリンをあんなにカッコ良く演奏できる人は他にいないなと思う。吉井さんは元ベーシストで、ギタリストでもあるんだけど、吉井さんに一番似合う楽器はタンバリンだと思う。思わずamazonでタンバリンを買ってしまいそうになる(買っても吉井さんのようには絶対なれないので我慢する)

 

今日は14時ごろに起きたので夜になっても眠れずにいたら、友達が次々にツイキャスを始めててとても良かった。いつか衝動的にやるかもしれない。

 

特に何もすることがないので1日1記事書くつもりで日記を始めてみたんだけど、特に何もしていないので日記に書くことがないと気付く。

 

まあでも、明日も東京ドームだったはずの日なので、明日は吉井さんの好きな歌詞とか書いてみようかなと少し思っている。書かないかもしれない。

 

個人的に一番好きな歌詞は「おにぎり握るように愛してくれない?」です。

 

いや一番ではないかな。

My Bloody Valentine

5,6年前、まだ福岡でアパート暮らしをしていた時の話なのだけれど、夜中の2時ごろに外からおじさんの声できゃりーぱみゅぱみゅの「ファッションモンスター」が聞こえてきたことがあった。それも道すがらの鼻歌、という訳でもなく、ずっとその場に居座ったまま、熱唱。

 

あまりにうるさくて眠れなかったので仕方なく散歩に出かけ、たどり着いたTSUTAYA。そこで見つけた、当時よく聴いていたDOESの氏原ワタルさんがブログで紹介していて、なんとなくバンド名かっこいいなと思ってはいたけど聞いたことがなかったバンドのCDを買って帰り、CDプレイヤーにセットして再生ボタンを押した時の衝撃は今でもはっきりと覚えている。My Bloody Valentine のアルバム『Loveless』の一曲目、「Only Shallow」という曲だった。

 

My Bloody Velentine、通称マイブラは80年代に活躍したオルタナティブロックバンドで、いわゆるシューゲイザーというジャンルに属す。

 

シューゲイザーwikipediaで調べると

 

フィードバック・ノイズエフェクターなどを複雑に用いた深いディストーションをかけたギターサウンド、ミニマルなリフの繰り返し、ポップで甘いメロディーを際立たせた浮遊感のあるサウンド、囁くように歌い上げるボーカルなどがシューゲイザーの一般的特徴として挙げられる[1]

シューゲイザーには、1960年代後半に流行したサイケデリック・ロックリバイバル、あるいは新解釈という面があり、オルタナティヴ・ロックの1ジャンルと捉えられている。

 

ということらしい。要約するとギターがめちゃくちゃうるさいジャンルだ。マイブラも多分に漏れずめちゃくちゃうるさい。

 

最近家にこもりっきりなこともあって時間だけはやたらとあるので、音楽を聴くのにも少し手間をかけてみようかなと思い、レコードでこの『loveless』というアルバムを聴いている。

 

アナログの方がやっぱり音質がいい、とか、そういうのは正直よくわかんないけれど、レコードは好き。

 

ターンテーブルとスピーカーをセッティングして、レコードを棚から取り出してセットする。そこに針をゆっくりと落として、初めて音楽が聴ける。音楽を聴くのにこんな手間をかけられるのって、心に余裕がないとできないと思う。最近は連日のコロナ騒ぎで心が疲れてしまいがちなので、こういう時こそ逆にレコードで音楽を聴くと、少しだけ「大丈夫だ。」と思える。

 

レコードで何を聴こうかな、と思うときに、いつも最初に手に取ってしまうのが『loveless』だ。針を落とすと、レコード特有の「チチ…チチ…」というノイズ音が混じるしばしの静寂の後に、「Only Shallow」の轟音サウンドが一気になだれ込むように始まる。この瞬間が大好きで、針を何度も何度も戻してしまう。

 

My Bloody Valentineのなにが好きかと言われたら、もう全部が好きなんだけど、まずバンド名だ。

 

My Bloody Valentine

 

曲を聴かなくてもすでにカッコいい。因みに聴いたらうるさい。

 

次にバンドのヴィジュアル。

 

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聴かなくてもすでにカッコいい。 聴いたらうるさい。

 

さらにアルバムのジャケット。

 

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聴かなくてもカッコいい。『loveless』というタイトルもカッコいい。聴いたらうるさい。

 

そんなところを踏まえて聴いてみてください。

 

www.youtube.com

 

うるさいですね。

 

 

のだめカンタービレ

コロナの影響でここ一ヶ月くらいはずっと在宅勤務をしている。かといって、会社に作業時間を管理されているわけでもないので、結構好きに時間を使っている。


こんな機会はなかなかないので、久しぶりに「のだめカンタービレ」を一気見した。昔から大好きなドラマの一つで、登場人物それぞれの想いが結実したオーケストラの演奏シーンでは毎回泣いてしまう。


やっぱり、演奏っていいよなぁと思う。オーケストラでもピアノでも、ロックバンドのライブでも。


一年くらい前に友達と沖縄料理専門の居酒屋に行った時のことを思い出した。その店にはステージがあって、一時間おきに沖縄民謡のライブが行われる。おじさんが三味線を引き、二人の女性が民謡を歌う。女性のお子さんらしきまだ3,4歳の女の子が、ステージをうろうろしている、そんな自由なステージだ。沖縄民謡らしく軽快でノリのいい、陽気な曲のはずなのに、3人の演奏をぼーっと眺めていたらなぜだか泣けてしまった。


多分僕は、楽器を演奏したり、歌を歌う人の姿そのものに弱いんだと思う。考えてみれば、今まさに表現をしている最中の人の姿を見ることができるのって、音楽くらいじゃないかと思う。僕は短歌を読むのが好きだけど、短歌も詩も小説も、すでに完成した作品に触れることしかできない。目から、口から、手のひらから、身体全体から、人から感情が発露する、まさにその瞬間を目撃できるのってやっぱり音楽だし、だからこんなにライブが好きなんだなと改めて納得する。


やっぱり演奏っていいよなぁ。


のだめを観ながらそんなことを考えた。


そんなことを考えて、Amazonで電子ピアノを買ってしまった。


6万。ほとんど衝動買いだ。来月口座から落とされる。多分家賃払えなくなる。


現金給付、マジでお願いします。