肉が食いたい

今日も本当であればイエローモンキーのライブだったはずの日。19時ごろになって、そういえば今日の分のチケットをまだ発券してなかったことに気付く。メールボックスを探してみたら、「開催されるかされないかに関わらず発券しておいてください」というローチケからのメールを見つけて、ローソンに向かう。

 

いつも出かけるときは音楽を聴きながら歩くんだけど、今日はなんとなくやめておいた。久しく街の音を聞いていない。どこからか聞こえてくる喋り声とか、すれ違う人の足音とか、そういうどうでもいい音が妙に安心する。さみしいんだと思う。

 

ローソンへの道中、商店街を通るんだけど、半分くらいのお店は休業していて活気がない。人もまばらで、アーケードの照明もいつもより暗く、別世界に来たみたいだった。それでもいくつかの飲み屋は変わらず開いていて、ちらほらとお客さんもいた。

 

いうところの「不要不急の外出」ってやつだろう。だけどそれに対して僕は何を思えばいいのか、よくわからなかった。あのお客さんたちに怒りを覚える人がいることも、とてもよくわかる。経済的にも精神的にも追い詰められている人がいる。大事な人の中に感染リスクの高い人がいる、という人だっているんだろう。だけど僕だって、何かが違えばあのお店にいたかもしれない。皮肉でもなんでもなく、生きるのにそれが必要なのであれば、止めることなんてできない。お店だって、どうしても休業するわけにはいかない、経済的な理由があるのかもしれないし、そうであればあのお客さんたちは命綱だ。なによりお客さん達はとても楽しそうで、あの人たちの人生におけるそれを、不要不急だと決めることが僕にはできなかった。これは僕の正義でも優しさでもなんでもなく、決められなかったから、決めなかっただけだ。

 

わからないことだらけだ。こんな騒ぎがなくっても、もともとわからないことだらけだったんだろうけど、そのことがよりクリアにわかってしまうというか、思い知らされてしまう。何より、わからないことをわからないままにしておけないような事が次々に起こる。僕は、何かを守るため覚悟を決めて怒りを表明しなければいけない時が来たら、それができるだろうか。もしくはどうしても追い詰められた時、自分を守るために外出できるだろうか。

 

論理的に何が正しくて何が正しくないのか、ではなくて、主語に自分を置いて、何を守って何を守らないのか、そのために何を選び、何を捨てるのか。いざという時、主語に自分を置く覚悟を、僕は持てるだろうか。

 

ローソンに着いてチケットを発券する。どこにも行けなくなってしまったチケットを手に、帰り道は音楽を聴きながら帰った。このチケットで、いつかどこかへ行けたらいいなと思う。

 

全てが収束したら焼肉に行きたい。

わからないことはわからないままにして、肉が食いたい。